プロフィール
八代 薫(やしろ かおる)
- 4歳より則松三千代氏の下でピアノを始める。
- 武蔵野音楽大学附属高校にて故川崎隆氏に師事
- 選抜推薦にて武蔵野音楽大学ピアノ科入学
- 故ヤン ・ホラーク氏に師事
- チェコ共和国ヤナーチェク音楽大学にて故イルジー ・ スコヴァイサ氏のレッスン受講
- ラウンジピアニスト、管弦奏者の伴奏、合唱団の伴奏、ヤマハ音楽教室講師 を経て 現在ムジカ ・エポカ ・ピアノ教室主宰
- 日本クラシック音楽コンクール全国大会入選。国際芸術連盟新人オーディション合格、新人推薦コンサート出演。フランス音楽コンクール入賞。チェコ音楽コンクール入賞、チェコ共和国大使館にて演奏。
- 2003年、2007年にジョイントリサイタル開催。
- ヤマハ演奏グレード3級、指導グレード4級取得
- 中学校、高等学校、音楽科一種教員免許取得
- 全日本ピアノ指導者協会会員
- EQWEL♪ドレミコース♪認定講師
家族・趣味など
- 夫と中学生の女男の4人家族
- 趣味 /映画鑑賞、インテリア雑誌を見ること
- 憧れの人/向田邦子(脚本家、作家)、アンナ・パヴロワ(バレリーナ)
- 特技/もの真似(小学生の頃から身近な人の真似をして友達を笑わせていた)
ピアノとのあゆみ
ピアノは2歳上の姉が習っていたので、自然に習い始めました。
その頃、せっかくだからと母も一緒に習っていましたが、すぐに娘達に追い越されレッスンは断念したとのこと😂
私が通っていた教室は、奥様がピアノ教師ご主人が声楽家と言う環境だったので、子供の頃はご夫婦が指導する児童合唱団に入って歌っていました。
地域の音楽会に参加したり、オペレッタで役になりきって舞台に立ったことはとても楽しい思い出です。
この頃の体験が、今私の教室の発表会でピアノ演奏の他に歌のコーナーを必ず設けていることにつながっていると思います。
子供の頃の発表会
そしてピアノ科へ
幼稚園のお誕生日会で「大きくなったらピアノの先生になりたいです。」とスピーチしたのは覚えていますが、、、。
中学生まではクラシックバレエもやり、また子供会のドッジボールで夏は真っ黒になり、、、🌞と言う日々を送っていたので、特に音楽の道に進もうとは思っていませんでした。
そんな私がなぜピアノ科に、それも高校から音大附属に入学することに決めたかと言いますと、、、。
何とも不純な動機でして😅
それは中学3年の時、同じ年の仲良しの幼なじみが全寮制の音大附属高校を受験すると聞き、
「へぇ~、寮か~いいなぁ、私も入ってみたい、、、」
と言う寮生活に対する憧れの気持ちを持ったのがきっかけでした。
それに、父の仕事の関係で一年後に引っ越すことが決まっていたので、寮のある学校なら途中で転校する必要も無いし丁度良いと言うのも理由の一つでした。
喜び多き音楽への道
そんなこんなで進んだ音楽への道。
親元を離れての高校3年間の寮生活は、何かと悩みも多かった筈ですが、今となっては楽しい思い出しか、緑深い山奥で練習と勉強、、、と皆で切磋琢磨しあった素晴らしい思い出しか残っていません。
大学ではチェコ人のヤン.ホラーク先生のもとで学びました。
先生のグローブの様な太く大きな指から奏でられるゆったりとした音楽、倍音を感じる深みのある音色は今でも耳に焼き付いています。
卒業式にホラーク先生と
武蔵野音大卒業後は、チェコのヤナーチェク音大でイルジー・スコヴァイサ先生のレッスンも受けました。
生徒さんに伝えたい事
修了演奏会では地元の聴衆を前にチェコの作曲家の曲を演奏しましたが、そこでカーテンコールを3回受けた時の感動は今でも忘れられません。
「日本人がチェコの曲を演奏した」と言う地元の人々の贔屓目もあったかも知れませんが、その時私は
「音楽は国も言葉も越えて人の心に届くんだ!!」と心の底から実感しました。
日々ピアノを教えて行く中で、そのことを1人でも多くの生徒さんに伝えて行きたいと思っています。
ヤナーチェク音大の前で