7月3日に父が他界してから早3週間が経ちました。
生徒の皆様にはレッスンお休みさせていただいたり色々とご迷惑をおかけしました。
この度も温かいお言葉やお心遣いをいただき、心より感謝申し上げます。
脳梗塞を患い、認知症が進行して最後は寝たきりで意思疎通を図ることも出来なくなった父ですが、息を引きとった途端、魔法が解けて元の父に戻った様に見えました。
きっと 寝てるだけの施設での日々が退屈で「そろそろお母さんのところに行くか〜」と、2年近く前に逝った母に会いたくなったのではないかと思います。
父は陽気な人で、私の友達が遊びに来た時などは、面白いことを言っていつも笑わせていました。
ケラケラ笑う友人に「箸が転がっても可笑しい年頃だな?ど〜れ」と言って本当にお箸を転がしたりしてました。
ですから、アルツハイマーと診断された当初は、わざととぼけたことを言っているのか、それとも症状なのか わからないほどでした。
父も母も音楽は好きでしたが、下手の横好きで音痴ながらもコーラスなどやっていた母に比べ、父は喉に自信ありだったようです。
本人曰く、小学生時代はボーイソプラノが評判で、全校生徒の前で「月の砂漠」を独唱したこともあるそうです。(どう言うシチュエーション?)
私が小学生の頃は、父の故郷下関で開催された夏祭りの「のど自慢大会」に飛び入り参加したり
はたまた、高校生の時に家族で行ったパリでは、
シャンソニエのレストランで、ピアニストの男性に「さくらさくら」をリクエストし「日本を代表して歌います!」と熱唱したこともありました。
そんな父を当時は恥ずかしく思ったものですが、今となっては本当に懐かしい 楽しい思い出です。
ピアノのことなど丸っ切りわからない父でしたが、私が音楽高校を受験する際は、課題曲のベートーヴェンソナタのCD全集を買ってきてくれたり、演奏会の為にショパンを練習していたら、ショパンピアノ曲全集を買ってきてくれたり、いつも思いがけないプレゼントをしてくれました。
卒業後、私がバーのピアニストのアルバイトをしていた頃、シャンソンのコンサートに誘ってくれたこともありました。
派手なバンドの伴奏と大音量のマイクを通した歌声で、これでは参考にならない、と文句言ったことを覚えています。
コンサートに行ったり、美術館に行ったり、そうした思い出の殆どが母とのもので、父が登場することは滅多に無いからこそ、その一つ一つが鮮明に思い出されます。
私がピアノ教師になりたての頃は、レッスン記録用紙をパソコンで作ってくれたり、
教室を開くことになった時は、行きつけの呑み屋やお蕎麦屋さんにチラシを貼らせてもらうよう頼んでくれたり、
クリスマス会ではサンタに扮して登場し、生徒さん達にプレゼントを配ってくれた父。
生徒さんのキャッキャッと喜ぶ姿に父も嬉しそうにしていたのが思い出されます。
大人になった娘にこんなに協力してくれる父親なんてそうは居ないのでは無いかと、今になってその有り難さに気づかされます。
お父さん本当にありがとう。
お母さんと仲良くね!
昔と変わらず応援していてね!!
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